今年の8月が来るなんて、あのころは信じられなかった(何かそれっぽいプロローグっぽい何か)。
またつまらぬものを読んでしまった。自称『読書家』がそう云ったとき、それは作品や作者への批判よりむしろ謙遜や自己卑下の表われである、という事実にいったいどれだけの人が気付くことだろう……
どんな作品でも読み手しだいで楽しむことが出来るし、得るところがある。これは真理です、が、真理というからには逆に云えばそう簡単に到達できる境地というわけでもないのです。
だから、読み終えた作品に芳しい感想を抱けなかったら、それは大方自分のせいだと反省して(さすがにすべてを自分のせいには出来ません!)、次を読む。それが自称読書家ってやつです。
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(阿部謹也)、読了。
作者の名前はヘルマン・ボーテというらしいけど、表紙の表記に従い訳者の名前だけ、ね。
こういうショートショート形式の本はちょっとしたパスタイム(空き時間)を埋められて良いね。とか思ってたら、何か最後はやたら苦労した気がするぞ読み終わるのに。
ティル・オイレンシュピーゲル、それは14世紀のドイツに実在したといわれるいたずら野郎。悪質・下品・気に障る、と三拍子揃ったその振る舞いは間違っても「愉快な」ってレヴェルじゃねーぞとわたしは云いたい。まったくよく殺されなかったもんだ、と命がけだったことのみを評価してつかわす。
またつまらぬものを読んでしまった。自称『読書家』がそう云ったとき、それは作品や作者への批判よりむしろ謙遜や自己卑下の表われである、という事実にいったいどれだけの人が気付くことだろう……
どんな作品でも読み手しだいで楽しむことが出来るし、得るところがある。これは真理です、が、真理というからには逆に云えばそう簡単に到達できる境地というわけでもないのです。
だから、読み終えた作品に芳しい感想を抱けなかったら、それは大方自分のせいだと反省して(さすがにすべてを自分のせいには出来ません!)、次を読む。それが自称読書家ってやつです。
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(阿部謹也)、読了。
作者の名前はヘルマン・ボーテというらしいけど、表紙の表記に従い訳者の名前だけ、ね。
こういうショートショート形式の本はちょっとしたパスタイム(空き時間)を埋められて良いね。とか思ってたら、何か最後はやたら苦労した気がするぞ読み終わるのに。
ティル・オイレンシュピーゲル、それは14世紀のドイツに実在したといわれるいたずら野郎。悪質・下品・気に障る、と三拍子揃ったその振る舞いは間違っても「愉快な」ってレヴェルじゃねーぞとわたしは云いたい。まったくよく殺されなかったもんだ、と命がけだったことのみを評価してつかわす。
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