「さよなら絶望先生」第2話がやたら怖かった件。何気に鋭く現代社会の病巣を抉っていて絶望した!とは云うまい(云ったも同然)……
「シャーロック・ホームズと賢者の石」(五十嵐貴久)、読了。
「ホームズ、どうやらその本はお気に召さなかったらしいね」
「まったく、無駄な時間を過ごしてしまったよ。
……ところでワトスン、なぜ僕がこの本を気に入らなかったと分かったんだい?感想を漏らした覚えは無いがね」
「君ほどではないにしても、僕も観察眼や推理力を持っているということさ。とはいえ、君の影響が大きいのだろうけどね」
「なるほど。では、君の推理を聞かせてもらおうか」
「推理だなんて、そんな大げさなことじゃないよ。ただ、君とはもう長い付き合いだからね。君が、つまらない本はすぐに暖炉の火の中に放り込んでしまう、少々過激な癖の持ち主だということを僕はよく知っていた。それだけの話さ……」
……うーん、こいつはひどい、ひどすぎる。いや、上の寸劇もひどいけど、この「シャーロック・ホームズと賢者の石」という本もたいがいですよ。
第1話がすでにひどくて、こりゃ挽回不可能だなと思っていたらそのとおりでした。ああ、作者の耳元で思いっきり「ノーベリ」(「黄色い顔」より)と囁いてやりたい!
そもそもロンドン市内でホームズに鹿打ち帽をかぶせるようなやつはろくなもんじゃない!そんなの、「ほんの初歩だよ」(「まがった男」より)。
たとえば、火災を起こしといて「事件解決のためだから仕方ない」だなんてそんなのホームズじゃない。確かにエキセントリックな面もあるホームズだけど、そこまでイタくないぞと。
というかホームズはもっとスマートな男であって、そんな自棄みたいな所業はしないんだよ。おまけに暗い部屋で微動だにせず待ち伏せができる胆力の持ち主だからな(ちなみに夜目も効く!)。まあ、たぶん「ノーウッドの建築業者」が頭にあったんだろうけど、応用法を間違えすぎだろ。
そして、全編通して云えるのは発想があまりに現代的すぎるということ。というか、最初からホームズ物語を再現するつもりは無くて、ホームズとワトスンというキャラを使って小説が書きたかったというだけなんじゃないかなと思うね。
まあ、その動機自体を攻める気はさらさらないけど、やりようってもんがあるでしょと。文体がもっと翻訳ものっぽかったらちょっとは違った、のかも。
ほかにも不満点を上げていったらきりが無いんだけど。とりあえず、大きな過ちの数々には触れずにおくのが武士の情けかと。
あと、三人称でホームズを書くとき、それと切り裂きジャックを絡めるときはもっと細心の注意を払うべしだ。どちらも一種の鬼門だから気をつけろ。
最後にひとつ、挿絵がひどい、ひどすぎる……